「学校」の課題
お久しぶりです。
多様なまなびガーディアン
うっし~です。
遅くなりましたが、2021年になりました。
おめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
facebookには投稿していたんですが、
新年からはブログにも合わせて投稿していきます。
さてさて、もう年度末に向かってまっしぐらな時期に入りました。
私が所属している居場所事業も報告書作成をはじめます。
あらためて一年間の振り返りしつつ、今後の課題まで出していくのですが・・・
パッと思い付く課題として、仕方がないことなのは重々承知の上で言うと、
学校は子どもたちの「まなび」のための場所以外の目的は無いはずですが、
そこにトコトン向き合えているか?というと、非常に残念ですがそうでは無い、
と僕は思っています。
基本オトナ都合で全て運営されていて、
主体者である子どもたちは置き去りにされている、
と僕は感じています。
これは先生たちのせいではなく、所謂仕組みの不具合、
言うなれば、国として教育をどう捉えているか?
教育を国の未来の姿と照らし合わせてどの様にしていくか?
が、後回しにされてしまっているからだと思うのです。
如何に学校を子どもたち中心、子どもたち自身の
主体的なまなび場としてデザイン出来るか?
が非常に重要だと僕は思っていて、そのためには、
システムごとゴッソリ変更する必要があるんだろうなぁとね。
提供する側、される側という現行の図式を
先ず変更しないといけないと思っています。
子どもたちが学ぶ機会を、オトナたちが奪っている
(気が付かずな場合や、良かれと思っても多い)
のをよくみかけます。
勿体無いなぁ〜。
待つ必要と、最近よく聞く「個別最適化」なんでしょうか。
多様なまなびガーディアン
うっし~です。
遅くなりましたが、2021年になりました。
おめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
facebookには投稿していたんですが、
新年からはブログにも合わせて投稿していきます。
さてさて、もう年度末に向かってまっしぐらな時期に入りました。
私が所属している居場所事業も報告書作成をはじめます。
あらためて一年間の振り返りしつつ、今後の課題まで出していくのですが・・・
パッと思い付く課題として、仕方がないことなのは重々承知の上で言うと、
学校は子どもたちの「まなび」のための場所以外の目的は無いはずですが、
そこにトコトン向き合えているか?というと、非常に残念ですがそうでは無い、
と僕は思っています。
基本オトナ都合で全て運営されていて、
主体者である子どもたちは置き去りにされている、
と僕は感じています。
これは先生たちのせいではなく、所謂仕組みの不具合、
言うなれば、国として教育をどう捉えているか?
教育を国の未来の姿と照らし合わせてどの様にしていくか?
が、後回しにされてしまっているからだと思うのです。
如何に学校を子どもたち中心、子どもたち自身の
主体的なまなび場としてデザイン出来るか?
が非常に重要だと僕は思っていて、そのためには、
システムごとゴッソリ変更する必要があるんだろうなぁとね。
提供する側、される側という現行の図式を
先ず変更しないといけないと思っています。
子どもたちが学ぶ機会を、オトナたちが奪っている
(気が付かずな場合や、良かれと思っても多い)
のをよくみかけます。
勿体無いなぁ〜。
待つ必要と、最近よく聞く「個別最適化」なんでしょうか。
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