不登校ですけど、何か???
子どもたちのチャレンジを応援する
多様なまなびガーディアン
うっし~です。
前回の投稿
「プロフェッショナル」
の続きです。
まなびばおきなわ時代のフリースクール
卒業生に、HP用に推薦文書いてよ!
と頼んで寄稿してくれた第二段!
応援していたのが、
いつの間にか
応戦される側にいた!
うっし~大泣き!な寄稿文
【上岡萌絵さん】
「もしいま火事が起きたら、俺は命を投げ出してでも君(たち)を守る。」
中学2年生の春に"不登校"になり、自分にも他人にも心を閉ざしていた私は、文字通り絶望に浸っていた。どん底まで堕とされた私が牛木克彦(以下うっしー)となら、この状況をどうにかできるかもしれないと思えたのは、この一言がきっかけだった。
うんざりしていた。
「君のため」
という言葉を前に置けば、
何を言っても許されると
思っている大人たちに辟易していた。
それっぽい言葉で取り繕われた
「説教」はもう聞き飽きた。
「今学校を辞めたら人生が終わる」
「頭も成績も良いのに勿体ない」
それらの言葉は私のためではなくて、
あなたが自分の立場を守るために発したものでしょう。
あの頃の私は、"教育者"の仮面を被って小手先だけで
問題を片付けようとする大人たちが大嫌いだった。
中身のない「正義」を振かざして、
誰かが言った「正解」を突きつけてくる
"教育者"たちに、私の気持ちがわかってたまるかと
思っていた。
うっしーが、上に書いたような空っぽの
「教育者」ではないということは直接会えばわかる。
話さなくとも、眼を見るだけで感じ取れるほどのパワーがある。
私はいまでも、あの時の自分の直感を信じてよかったと思っている。
うっしーと関わるようになって、直ぐに
「学校に行けなくても生きていていいんだ」
と思えるようになった。
しばらく経って、
「私は学校に行かない選択肢を選んだのだ」
と思えるようになった。
大した理由もなく不登校になったのは事実だが、
「勿体無い選択」をしたかどうかは自分で決めたかった。
道を踏み外したかもしれないけれど、
人生を棒に降ったわけではない。
ここからいくらでもやれる、と思わせてくれたのは、
「世界平和」を本気で望んでいて、
小さな命を大切に想ううっしーと出会えたからだった。
うっしーが立ち上げたフリースクールで経験したことや
かけてもらった言葉たちは、いまでも私の一部として生きている。
あの不登校時期に、自分の命をかけてでも
子供たちと向き合っていたうっしーと出会えたから、
自分の人生に、選択に、責任と愛を持って生きようと思えた。
フリースクールを卒業した私は、
入学した通信制の高校を評定平均5.0で卒業し
、推薦で入学した東京の大学を主席で卒業した。
GPAは3.98だった。数字だけみればまあまあ凄い
「結果」なのかもしれないが、私はただ小さな選択を
重ねていっただけだ。
不登校の時にたくさん休んだから、大学では何事に対しても
真剣に取り組んでみようと思って過ごした。いつの間にか、
失敗や間違いも含めて、自分の選択を尊重できるようになっていた。
出来ない自分を愛せるようになっていた。
「失敗も人生の経験値だよ」
「迷った時は難しいほうを選ぶといい。その方が経験になるから」
というのはどれも、うっしーの口から飛び出たパワフルな言葉だ。
そこまでストイックに生きなきゃいけないとは思わないけれど、
そういう精神を貫く大人と関わる経験は必ず財産になる。
結局のところ、
結果と過程のどちらが大事かなんて、
やってみなきゃわからない。
ただ、不登校とか学校にいると息がしづらいとか、
そういう「歪み」を若いうちに感じ取れたのだとしたら、
自分が納得できるところまで違和感を突き詰めたら
良いと思う。
見て見ぬ振りをしていると、
後になって必ず自分に返ってくる。
幼い頃に嫌悪していたはずの
「つまらない大人」に近づく自分を、
黙って受け入れてしまっていいのか。
うっしーは、
子供たちの違和感──「なんで?」
を全部受け止める。
理不尽なことを
「そういうものだから」
で片付けたりしない。
「社会に出たらそういうことはたくさんあるよ」
なんて、一辺倒な答えは出さない。
どんな問いについても、必ず一緒に最後まで考えてくれる。
だから私は、彼を推薦する。
彼の立ち上げるフリースクールを薦めたい。
牛木克彦は、私が人生で初めて出会った「恩師」だから、
これからの活躍も期待しています。
私も負けずに頑張ります。
多様なまなびガーディアン
うっし~です。
前回の投稿
「プロフェッショナル」
の続きです。
まなびばおきなわ時代のフリースクール
卒業生に、HP用に推薦文書いてよ!
と頼んで寄稿してくれた第二段!
応援していたのが、
いつの間にか
応戦される側にいた!
うっし~大泣き!な寄稿文
【上岡萌絵さん】
「もしいま火事が起きたら、俺は命を投げ出してでも君(たち)を守る。」
中学2年生の春に"不登校"になり、自分にも他人にも心を閉ざしていた私は、文字通り絶望に浸っていた。どん底まで堕とされた私が牛木克彦(以下うっしー)となら、この状況をどうにかできるかもしれないと思えたのは、この一言がきっかけだった。
うんざりしていた。
「君のため」
という言葉を前に置けば、
何を言っても許されると
思っている大人たちに辟易していた。
それっぽい言葉で取り繕われた
「説教」はもう聞き飽きた。
「今学校を辞めたら人生が終わる」
「頭も成績も良いのに勿体ない」
それらの言葉は私のためではなくて、
あなたが自分の立場を守るために発したものでしょう。
あの頃の私は、"教育者"の仮面を被って小手先だけで
問題を片付けようとする大人たちが大嫌いだった。
中身のない「正義」を振かざして、
誰かが言った「正解」を突きつけてくる
"教育者"たちに、私の気持ちがわかってたまるかと
思っていた。
うっしーが、上に書いたような空っぽの
「教育者」ではないということは直接会えばわかる。
話さなくとも、眼を見るだけで感じ取れるほどのパワーがある。
私はいまでも、あの時の自分の直感を信じてよかったと思っている。
うっしーと関わるようになって、直ぐに
「学校に行けなくても生きていていいんだ」
と思えるようになった。
しばらく経って、
「私は学校に行かない選択肢を選んだのだ」
と思えるようになった。
大した理由もなく不登校になったのは事実だが、
「勿体無い選択」をしたかどうかは自分で決めたかった。
道を踏み外したかもしれないけれど、
人生を棒に降ったわけではない。
ここからいくらでもやれる、と思わせてくれたのは、
「世界平和」を本気で望んでいて、
小さな命を大切に想ううっしーと出会えたからだった。
うっしーが立ち上げたフリースクールで経験したことや
かけてもらった言葉たちは、いまでも私の一部として生きている。
あの不登校時期に、自分の命をかけてでも
子供たちと向き合っていたうっしーと出会えたから、
自分の人生に、選択に、責任と愛を持って生きようと思えた。
フリースクールを卒業した私は、
入学した通信制の高校を評定平均5.0で卒業し
、推薦で入学した東京の大学を主席で卒業した。
GPAは3.98だった。数字だけみればまあまあ凄い
「結果」なのかもしれないが、私はただ小さな選択を
重ねていっただけだ。
不登校の時にたくさん休んだから、大学では何事に対しても
真剣に取り組んでみようと思って過ごした。いつの間にか、
失敗や間違いも含めて、自分の選択を尊重できるようになっていた。
出来ない自分を愛せるようになっていた。
「失敗も人生の経験値だよ」
「迷った時は難しいほうを選ぶといい。その方が経験になるから」
というのはどれも、うっしーの口から飛び出たパワフルな言葉だ。
そこまでストイックに生きなきゃいけないとは思わないけれど、
そういう精神を貫く大人と関わる経験は必ず財産になる。
結局のところ、
結果と過程のどちらが大事かなんて、
やってみなきゃわからない。
ただ、不登校とか学校にいると息がしづらいとか、
そういう「歪み」を若いうちに感じ取れたのだとしたら、
自分が納得できるところまで違和感を突き詰めたら
良いと思う。
見て見ぬ振りをしていると、
後になって必ず自分に返ってくる。
幼い頃に嫌悪していたはずの
「つまらない大人」に近づく自分を、
黙って受け入れてしまっていいのか。
うっしーは、
子供たちの違和感──「なんで?」
を全部受け止める。
理不尽なことを
「そういうものだから」
で片付けたりしない。
「社会に出たらそういうことはたくさんあるよ」
なんて、一辺倒な答えは出さない。
どんな問いについても、必ず一緒に最後まで考えてくれる。
だから私は、彼を推薦する。
彼の立ち上げるフリースクールを薦めたい。
牛木克彦は、私が人生で初めて出会った「恩師」だから、
これからの活躍も期待しています。
私も負けずに頑張ります。
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