ビューティフルネーム①
学校では学べないことを
まなぶ場をつくっている、
多様なまなびガーディアン
うっし~です。
本日は名前の話。
苗字が牛木(うしき)なので、ずいぶん前から
「うっし~」と名乗っていますが、現在は、特に
子どもたちとの関りが強くなってきてからは、
意識して「うっし~」を名乗っています。
野外活動ではキャンプネームという、所謂
ニックネームをそれぞれつけることも多く、
それは呼びやすい、覚えやすいというのが
主な理由でしょうか。
※ 発祥に関してはこちらを
→http://www.shizen-taiken.com/tnakamura/20060418.html
私のパートナーは「ちょこ」とつけていまして、
私とちょこは、ビジネスマナー的にどうかは
別にして、名刺にも大きくそれを入れています。
先週の月曜日、火曜日の二日間、この名前が
分かりやすく活用出来た場面があったので
ご紹介。
1:現在県の事業で、アソシアの一員として
南部商業高校の中にあるカフェスタイルの
「居場所」で支援員を週に二日しています。
私は生徒に自分から向かっていく方ではない
のもあり、常連の生徒から存在は認められて
いるようですが、個別認識はされていない状態。
月曜日のドリンク提供が終わって、居場所全体が
落ち着きを取り戻した時に、ある生徒が「先生」と
私を呼んだので、良いタイミングだなと思い、
「先生ではなく、うっし~です。それでよろしく!」
と、あらためて自己紹介。
「~さんは要らないんで」と念押し。
( → 「うっし~さん問題」は後日別の書きます )
で、私を生徒たちが 「うっし~」 と呼ぶと、もちろん
私の感じ方も変わるんですが、これは気のせいだけ
ではなく、生徒たちとの距離感や、生徒たちが持って
いる私に対する空気感が大きく変わるんです。
こんなおっさんを、それも先生みたいな立場にみえる
人をニックネームで呼ぶことでの、何らかの変化が
心の中に起こるんでしょうね。
よく聞く話、尋ねられる話で
「なめられませんか?」
とおっしゃる方がいますが、呼び方だけで
なめられる、
なめられない
は、正直変わらないと思っています。
丁寧な言葉遣いしていたって、心の中では
馬鹿にされていることもあるし。
リスペクトされるような生き方をしていれば、
子どもたちは決してなめません。一見乱暴な
言葉遣いに見えてもです。
先生が先生であろうとする必要はないし、
先生として認めるのは子どもたちです。
「師」として認められるように、
(不自然さはばれます、ご注意を!)
丁寧に、子どもたち一人ひとりを尊重し関わっていれば、
自然と名前付き、リスペクト付きの「~先生」になるんだと
思います。
子どもたちと、そんな関係性が出来たらいいな~
って思っている「うっし~」でした。
まなぶ場をつくっている、
多様なまなびガーディアン
うっし~です。
本日は名前の話。
苗字が牛木(うしき)なので、ずいぶん前から
「うっし~」と名乗っていますが、現在は、特に
子どもたちとの関りが強くなってきてからは、
意識して「うっし~」を名乗っています。
野外活動ではキャンプネームという、所謂
ニックネームをそれぞれつけることも多く、
それは呼びやすい、覚えやすいというのが
主な理由でしょうか。
※ 発祥に関してはこちらを
→http://www.shizen-taiken.com/tnakamura/20060418.html
私のパートナーは「ちょこ」とつけていまして、
私とちょこは、ビジネスマナー的にどうかは
別にして、名刺にも大きくそれを入れています。
先週の月曜日、火曜日の二日間、この名前が
分かりやすく活用出来た場面があったので
ご紹介。
1:現在県の事業で、アソシアの一員として
南部商業高校の中にあるカフェスタイルの
「居場所」で支援員を週に二日しています。
私は生徒に自分から向かっていく方ではない
のもあり、常連の生徒から存在は認められて
いるようですが、個別認識はされていない状態。
月曜日のドリンク提供が終わって、居場所全体が
落ち着きを取り戻した時に、ある生徒が「先生」と
私を呼んだので、良いタイミングだなと思い、
「先生ではなく、うっし~です。それでよろしく!」
と、あらためて自己紹介。
「~さんは要らないんで」と念押し。
( → 「うっし~さん問題」は後日別の書きます )
で、私を生徒たちが 「うっし~」 と呼ぶと、もちろん
私の感じ方も変わるんですが、これは気のせいだけ
ではなく、生徒たちとの距離感や、生徒たちが持って
いる私に対する空気感が大きく変わるんです。
こんなおっさんを、それも先生みたいな立場にみえる
人をニックネームで呼ぶことでの、何らかの変化が
心の中に起こるんでしょうね。
よく聞く話、尋ねられる話で
「なめられませんか?」
とおっしゃる方がいますが、呼び方だけで
なめられる、
なめられない
は、正直変わらないと思っています。
丁寧な言葉遣いしていたって、心の中では
馬鹿にされていることもあるし。
リスペクトされるような生き方をしていれば、
子どもたちは決してなめません。一見乱暴な
言葉遣いに見えてもです。
先生が先生であろうとする必要はないし、
先生として認めるのは子どもたちです。
「師」として認められるように、
(不自然さはばれます、ご注意を!)
丁寧に、子どもたち一人ひとりを尊重し関わっていれば、
自然と名前付き、リスペクト付きの「~先生」になるんだと
思います。
子どもたちと、そんな関係性が出来たらいいな~
って思っている「うっし~」でした。
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